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[聴こうクラシック19]平昌五輪、氷の名脇役ショパン「バラード第1番」

あやふくろう(ヴァイオリン奏者)

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華麗なるフィギュアスケートのプログラムで、たびたび登場する作曲家といえばショパンです。今回は、羽生結弦選手が今季ショートプログラムで使用していることが話題となっている「バラード第1番」をご紹介します。

 

揺れる祖国を思いながら異郷で作曲したバラード

フレデリック・ショパンは、1810年ポーランドに生まれ、若いうちから音楽家として認められていました。20歳のとき、活躍の場を広げようと祖国をあとにしてウィーンへ移り住みます。ところが、留守にしたポーランドでは、自由を求めた反乱が勃発。結局ロシアに鎮圧されるのですが、彼は祖国で戦えなかったことを悔やみ、残してきた家族や友人のことを思って苦悩します。

 

そんなとき、ポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィチの愛国的な詩に触発されて作曲し始めたのが「バラード第1番」だったと言われています。彼は21歳から4年掛けてこの曲の作曲に取り組みますが、それは悲喜こもごもの日々でした。結局、音楽の都ウィーンでは芽が出ず、パリへ移住。そこで一躍社交界の人気者となり、25歳の夏にはメンデルスゾーンの招待でライン音楽祭へ参加します。またポーランドにいた両親とチェコの温泉地で再会しますが、これが最後の対面に。さらに、恋に落ちて婚約し、束の間の幸せを手にします。

 

「バラード第1番」作曲中は、岐路に立たされた日々を送る

「バラード第1番」を作った4年間、ショパンは大きな岐路に立たされました。ロシア皇帝ニコライ1世の宮廷ピアニストに、という要望を受けましたが、これを拒否。また在仏ポーランド人は、ロシア大使館でのパスポート申請が必要になりましたがこれも拒否したため、2度と祖国の地を踏むことなく、フランスへ帰化する道を選びます。また、音楽家として大きな決心もしました。「ピアノの作曲家として生きていく」という決心です。当時、音楽家としての成功とは「オペラを書いて成功させること」と考えられていました。ところがショパンはピアノにこだわり、ピアノの作曲家として生き抜く覚悟を決めたのでした。

 

「バラード第1番」の聴きどころ

ショパンのバラードは4曲あり、第1番は初期の傑作です。この曲は先述のように詩に基づいて作曲されたと言われています。しかし、彼は曲に題名や解説を付けることを好まなかったので、実際にどのメロディーにどう詩が乗っているのかを知ることはできません。この曲の大きな特徴は、意表をつく斬新な冒頭部分です。ト短調なのに、ト短調には本来ない「ラのフラット」の和音、「ド、ミ♭、ラ♭」で始まります。このユニークな音選びのテクニックは、クライマックスで何度も繰り返されますが、冒頭はその伏線とも言えますね。途中、いくつもの美しいメロディーが次々と登場し、全曲を通して88鍵の鍵盤が隅々まで奏でられます。クライマックスは、スピード感あふれるエンディング。奏者の左右の手が鍵盤の両端から互いに引き寄せられるように中央へとなだれ込んで、ドラマチックに曲は終わります。

 

ショートプログラムと、曲のクライマックスが見事にマッチ

フィギュアスケートのショートプログラムは2分40秒なので、約9分の「バラード第1番」は、違和感のない自然な形で短く編集されています。羽生選手は、先述の斬新な冒頭部分で「静」を表わし、やがて3拍子のメロディーが始まると、おもむろに滑り出します。この3拍子について、以前は「1、2、3と意識して踊っていた」そうですが、小節ごとに大きく1拍として捉えるようにピアニストからアドバイスを受けたそうです。見どころは、やはりスピード感のあるエンディング。体力が消耗した終盤に曲のテンポが急に上がり、激しいステップと相まって、演技の盛り上がりは一気に頂点に達します。もしもショパンが見ていたら、感激し、絶賛していたかもしれませんね。

 

ショパンが愛したプレイエルのピアノ

ショパンを語るうえで、欠かせないのが「プレイエルのピアノ」です。プレイエルとは世界最古のピアノメーカーの1つと言われ、パリで演奏会用のホールも経営していました。ショパンのパリデビューも、最期となった演奏会もそのホールで開催されています。彼はプレイエルのピアノを愛し、スペインのマジョルカ島へ療養に行ったときでさえ、あとで運ばせたほどでした。実際、高音になるほど音量が小さくなり、低音になるほど音量と迫力が増すので、ショパンの曲、特に「バラード第1番」にはぴったりです。ショパンはこう語っています。「私は、気分が良くて、自分だけの音を出してみたいと思うときには、プレイエルが必要なのです」(クラシックの名曲解剖 ナツメ社)。

 

おすすめの演奏とプレイエルピアノ

 

 

 「ショパン弾き」と称され、その名を残したアルフレッド・コルトーの1933年の演奏をご紹介します。1930年代の彼の録音はすべて、プレイエルのピアノによるものです。

 

 

 

 

羽生選手とピアニスト松田華音さんとの、この曲に関する対談もご紹介します。

 

 

参考文献

「図説 ショパン」伊熊よし子著 河出書房新社
「クラシックの名曲解剖」野本由紀夫編著 ナツメ社
「大作曲家たちの履歴書」三枝成彰著 中央公論社
「ショパンとパリ」河合貞子著 春秋社
「ショパン」遠山一行著 新潮社
「マンガと音楽の甘い関係」高野麻衣著 太田出版
「僕のショパン」桃雪琴梨著 角川グループパブリッシング

 

◇前回記事◇[聴こうクラシック18]ドラマチックオペラ「トスカ」より「星は光りぬ」
https://qufour.jp/article/detail/3517

◇あやふくろう(ヴァイオリン奏者)さんの過去記事一覧
https://qufour.jp/users/article/41058

 

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あやふくろう(ヴァイオリン奏者)さん

ヴァイオリン奏者・インストラクター。音大卒業後、グルメのため、音楽のため、世界遺産の秘境まで行脚。現在、自然とワイナリーに囲まれた山梨で主婦業を満喫中。富士山を愛でながら、ヨガすることがマイブーム。

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