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[聴こうクラシック32]運動会で有名、ロッシーニ「ウィリアム・テル序曲」

秋の訪れとともに、学校の前を通り掛かると運動会の練習風景が見られるようになりました。今回ご紹介する曲は、運動会の名脇役、ロッシーニの「ウィリアム・テル序曲」です。徒競走や玉入れなど、競技を盛り上げてくれる行進曲は、耳にすれば誰もが「あ~、この曲か!」と、子ども時代を思い出す1曲です。

 

若くして才能を開花させ40代で引退

ジョアキーノ・アントーニオ・ロッシーニは1792年イタリアで生まれ、1868年にフランスで亡くなりました。父はトランペット奏者、母はソプラノ歌手の音楽一家に育ち、10代で作曲家としてデビュー。24歳のときには代表作「セビリアの理髪師」を作曲し、人気オペラ作曲家としての地位を確立します。生涯に39作のオペラを作曲したロッシーニは、イタリア国外でもその人気は高く、1822年にはウィーンでロッシーニフェスティバルが開催されたほどでした。当時、30歳だったロッシーニはルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンを訪問。ベートーヴェンも「セビリアの理髪師」を称賛したと言われています。しかし、44歳の若さで音楽界から引退し、その後は、隠居生活に入ってしまいました。

 

独創的なスタイルで、特に人気の序曲

37歳でオペラ「ウィリアム・テル」を作曲したあとはオペラ作曲の筆を折り、引退までは宗教曲などを作曲したロッシーニ。この曲が最後の代表曲といえます。なかでも今回ご紹介する序曲は4つの部分が続けて演奏される、それまでにない独創的なスタイルになっています。序曲全体で12分ほどの楽曲です。第1部は夜明けをイメージしたチェロの独奏が印象的です。第2部は嵐が描写されています。嵐の前に風でゆらぐ葉を思い起こさせるヴァイオリンの音と雨粒を表現する管楽器の音に続いて、一気に嵐が訪れます。だんだん音が強くなるクレッシェンドの楽器の使い方が巧みで、ロッシーニらしいところです。第3部は嵐のあとの静けさが表現されています。オーボエより低い音を出すコーラングレとフルートで、牧童のメロディーを美しく奏でます。そして、第4部が日本の運動会の定番曲、スイス軍隊の行進です。トランペット、ホルン、ティンパニーのファンファーレのあと、弦楽器の弓が馬のギャロップのように弾むところが、演奏を見ていても楽しい曲です。

 

ウィリアム・テルはスイスの英雄

「ウィリアム・テル」はフリードリヒ・フォン・シラーの戯曲に基づいて作曲されたオペラで、全体では4時間ほどの大作です。舞台は14世紀。当時ハプスブルク家の圧政に苦しんでいたスイスが、ウィリアム・テルの導きにより、解放されるという物語です。弓の名手だったウィリアム・テルが、権力者に命じられ、自分の息子の頭の上に的としてりんごを乗せ、見事、射抜くシーンが有名ですね。権力に抵抗する英雄をたたえる作品だったこともあり、イタリアでは政治的な理由で上演がされない時期もありましたが、ウィーンでは何度も繰り返し上映されるほどの人気オペラでした。

 

料理にも名前が付くほどのグルメだった、ロッシーニ

ロッシーニは美食家としても知られ、トリュフを探す豚を飼育していたほどだそう。「トリュフはキノコのモーツァルトだ!」という名言を残したと言われています。フランス料理店のメニューに登場する、「ロッシーニ風」とは、彼が考案した料理で、牛ヒレ肉などの上にフォアグラとトリュフを乗せた、贅沢な1品です。

 

また、ロッシーニに関する小話に「ロッシーニは生涯で3度泣いた」という逸話があります。1回目は初めてのオペラの初演時、2回目は名ヴァイオリニスト、ニコロ・パガニーニの演奏を聴いたとき、3回目は船遊び中に、トリュフ(フォアグラという説も)を詰めた七面鳥を海に落としてしまったときだそう!音楽とグルメを極めた彼らしいエピソードです。引退後の彼のパリの自宅には、音楽と料理を楽しむ多くの人が訪れ、新人作曲家の登竜門となっていたそうです。

 

おすすめの演奏

 

 

それでは早速「ウィリアム・テル序曲」を聴いてみましょう。第4部(8分40秒頃)が日本で有名な箇所です。ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団の演奏です。

 

参考文献

「クラシック作曲家事典 検索キーワード付」渡辺和彦監修 学習研究社
「音楽の366日話題事典」朝川博・水島昭男著 東京堂出版
「痛快!オペラ学」永竹由幸著 集英社インターナショナル

 

 

あやふくろう(ヴァイオリン奏者)

ヴァイオリン奏者・インストラクター。音大卒業後、グルメのため、音楽のため、世界遺産の秘境まで行脚。現在、自然とワイナリーに囲まれた山梨で主婦業を満喫中。富士山を愛でながら、ヨガすることがマイブーム。