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[聴こうクラシック33]チャイコフスキー三重奏「偉大な芸術家の思い出」

芸術の秋に、憂いのある室内楽の旋律を聴いてみてはいかがでしょう。今回ご紹介する曲は、チャイコフスキーの名曲、室内楽の「偉大な芸術家の思い出に」です。この作品は、ピアノ、ヴァイオリン、チェロによるトリオの編成で作曲されています。「くるみ割り人形」や「眠れる森の美女」など、バレエ音楽のメロディーメーカーとして知られる、チャイコフスキーらしいロマンチックな旋律が、各パートの随所にちりばめられています。

 

迷いながらも音楽の道を選んだチャイコフスキー

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーは1840年ロシアの鉱山技師の次男として生まれ、53歳のとき同国で亡くなりました。父はフルート、母は声楽が得意で、彼も幼いころから音楽的才能を開花させます。しかし、両親は彼を音楽家にするつもりはなく、10歳のときにサンクトペテルブルクの法律学校へ入学させます。ところが、皮肉にも都会に移り住んだことは、コンサートに行ったり、音楽家に出会ったりと、彼に音楽の道へ進む気持ちを芽生えさせます。19歳で法律学校を卒業して法務省に勤務しますが、23歳のときに父の反対を押し切って辞職。ペテルブルク音楽院で本格的に音楽の勉強をすることを決意します。指揮者、ピアニストとして活躍した、ニコライ・グリゴーリェヴィチ・ルビンシテインがモスクワ音楽院を創設すると、26歳になったチャイコフスキーはここで12年間教鞭を執ることになります。ニコライはのちに、チャイコフスキーの数々のオーケストラ作品の初演を指揮しました。

 

天国の親友に送った力作

「偉大な芸術家の思い出に」は、ピアノ三重奏曲イ短調作品50の通称で、通して聴くと50分ほどの大作です。法律家を辞めて音楽家になったあと、生活が苦しかった彼をいろいろな面で援助してくれた上司であり、大親友でもあったニコライ・グリゴーリェヴィチ・ルビンシテインが亡くなり、その一周忌に向けて作曲されました。チャイコフスキー41歳から42歳にかけて作られた作品です。ピアニストだった旧友を偲んで作曲されたので、ピアノの超絶技巧が繰り広げられ、演奏者にとっては力量を試される作品です。

 

ピアノトリオという編成

この作品はピアノトリオ、つまりピアノ、ヴァイオリン、チェロの編成で演奏されます。ピアノトリオでは、ヴァイオリンとチェロ、つまり弦楽器の音色をピアノが包みこむように演奏するのですが、そのバランスがとても難しいとされています。この作品が名曲とされるのは、メランコリックな旋律だけでなく、その巧みな楽器の使い方にもあります。冒頭、と最後のハッとさせられるようなチェロのメロディー、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲に見られるような華やかなヴァイオリンのパッセージ、ショパンのワルツのようにクルクルと回るピアノの音色、クライマックスでのユニゾン……と聴きどころがたくさんありますよ。

 

ニコライの思い出

この曲は2楽章で構成されています。最初の楽章はソナタ形式で書かれ、ピアノの伴奏に乗せてチェロの悲しみの旋律で幕を開けます。第2楽章は主題と変奏の形式です。ここで主題となる旋律は、ロシアなまりのある旋律と言われていますが、これはチャイコフスキーとニコライが音楽院の学生らとともに演奏会の打ち上げをかねてモスクワ郊外の丘へ遊びに行き、そこで地元の農夫らと歌ったり踊ったりしたときの思い出の歌なのです。そして、やがてその思い出から現実に戻り、第1楽章の悲しみの主題が葬送のリズムを伴って、演奏されます。そしてまるで黙とうするように、静かに幕を下ろすのです。

 

おすすめの演奏

 

 

それでは、秋の夜長にぴったりな、じっくりと憂いのあるメロディーを味わってみましょう。演奏は全員20世紀を代表するロシア人の巨匠によるものです。ピアノはエミール・グリゴリエヴィチ・ギレリス、ヴァイオリンはレオニード・ボリソヴィチ・コーガン、チェロはムスティスラフ・レオポリドヴィチ・ロストロポーヴィチです。

 

参考文献

「大作曲家たちの履歴書」三枝成彰著 中央公論社
「世界の音楽家たち ロシア音楽の星チャイコフスキー」さいとうみのる著 汐文社

 

 

あやふくろう(ヴァイオリン奏者)

ヴァイオリン奏者・インストラクター。音大卒業後、グルメのため、音楽のため、世界遺産の秘境まで行脚。現在、自然とワイナリーに囲まれた山梨で主婦業を満喫中。富士山を愛でながら、ヨガすることがマイブーム。